なぜ経営者はIT投資に「もっと安くならないか」と言うのか― 問題は予算ではなく、ITの価値を判断する「物差し」にある

3,000万円のシステム刷新で、事業は何が変わるのか

ある企業で、3,000万円のシステム刷新が提案されたとします。

提案書には、次のような言葉が並んでいます。

  • 老朽化への対応
  • 保守性の向上
  • 業務効率化
  • 操作性の改善

どれも必要性は理解できます。

しかし、経営者には一つ、分からないことがあります。

「で、3,000万円を投じて、事業として何が変わるのか?」

  • 顧客へのサービスはどう良くなるのか
  • 競合に対してどのような優位性が生まれるのか
  • 売上や利益にどう貢献するのか

そこが説明されないまま、技術的な必要性や機能一覧だけを示されても、
投資の妥当性は判断できません。

結果として、経営者の口から出てくるのは「もっと安くならないか」という言葉です。

これは必ずしも、経営者がITを軽視しているからではありません。

価格以外に判断材料がなければ、価格で判断するしかないのです。

私は、IT投資を巡る問題の本質が、ここにあると考えています。

競合が翌日配送する横で、社内の20%削減を喜んでいないか

企業におけるITは、長い間、業務の効率化を主要な役割の一つとして発展してきました。

  • 手書き伝票の電子化
  • 計算の自動化
  • 帳票のデータ化

人間が行っていた作業をコンピューターに任せることで、時間を短縮し、人件費を削減する。

こうした用途であれば、「何人分の作業が減るのか」「年間いくら経費を削減できるのか」という物差しで評価することは合理的です。

問題は、この物差しを、競争のためのIT投資にまで当てはめてしまうことです。

例えば、同じ商品を扱う二つの企業があるとします。

  • A社:注文から翌日には商品を届けられる
  • B社:在庫確認や出荷指示に時間がかかり、届くのは3日後

価格や品質が同程度で、顧客が納期を重視するなら、どちらが選ばれやすいでしょうか。

この差を生み出すのは、物流設備だけではありません。

在庫情報の精度、受注処理、倉庫との連携、配送手配など、
一連の業務を支えるITの能力も大きく関係しています。

自社の受注処理時間を20%短縮できたとしても、
競合が翌日配送を実現しているなら、それだけで競争に勝てるとは限りません。

反対に、社内の工数がほとんど減らなくても、
顧客への納期が大幅に短縮され、受注機会が増えるなら、そのIT投資には大きな価値があるはずです。

競争のためのITを、社内の効率化という物差しだけで評価してはいけないのです。

ITは便利な道具なのか、競争の武器なのか

企業におけるITの位置づけは、大きく変わっています。

かつてのITは、人間の仕事を補助する便利な道具としての役割が中心でした。

しかし現在では、事業の競争力を左右する領域に深く組み込まれています。

  • 顧客へのサービス提供速度
  • 商品の品質
  • 問い合わせへの対応力
  • アフターサービス
  • 仕入れや在庫の適正化

ITは、単に社内の仕事を楽にするための道具ではありません。

顧客から選ばれるための能力を生み出す、競争の武器でもあります。

ただし、すべてのITを武器として扱う必要はありません。

  • 差別化につながりにくい領域:一般的な会計処理や給与計算などは、必要な品質や安全性を確保したうえで、標準的なサービスを利用し、コストを適正化することが合理的でしょう。
  • 競争優位に直結する領域:顧客への価値提供に関わる領域では、価格だけでなく、どのような成果を生み出せるかを評価する必要があります。

ここで重要なのは、システムの種類で一律に判断しないことです。

例えば、在庫管理は一般的には基幹業務です。
しかし、在庫の正確性や供給速度が競争力を左右する企業では、重要な戦略領域になります。

そのITが競争力を左右するなら、競争の物差しで評価する。そうでなければ、必要な品質を確保したうえで効率性を追求する。

システムの名称ではなく、事業における役割によって評価基準を変えるべきなのです。

そもそも、何を実現したいのか決まっているか

ここまでの議論を踏まえると、もう一つ根本的な問題が見えてきます。

それは、IT投資の評価以前に、
何を実現するための投資なのかが、十分に定義されていないことです。

例えば、「受注管理システムを刷新したい」という相談があったとします。

そのまま要件定義に入れば、
現在の受注管理業務をどう効率化するか、という議論になりやすいでしょう。

  • 入力作業を減らす
  • 画面を使いやすくする
  • 帳票を自動出力する

もちろん、それらも重要な改善です。

しかし、もし事業上の目的が「顧客への納期回答を競合より早くすること」だったら、どうでしょうか。

考えるべき対象は、受注管理だけではありません。

  • 在庫情報
  • 仕入先との連携
  • 生産計画
  • 物流
  • 営業部門の判断ルール

ここまで検討対象になる可能性があります。

つまり、何を実現したいのかによって、
そもそも見直すべき業務の範囲も、必要なシステムも変わってくるのです。

ここで目的を定めないままシステム選定を始めれば、
既存業務を効率化することが、そのまま投資の目的になってしまいます。

そして、出来上がったシステムは確かに便利になったものの、
顧客への提供価値も競争力も大きく変わらなかった、という結果になりかねません。

IT投資の失敗は、システムを選ぶ段階ではなく、何を実現するかを決める段階ですでに始まっていることがあるのです。

ITの価値を説明できないのは、誰の問題か

経営者がITの価格ばかりを問題にする、と嘆く前に、
ITを提案する側にも考えるべきことがあります。

IT部門やベンダーは、その投資が事業にどのような価値をもたらすのか、
経営の言葉で説明できているでしょうか。

システムの機能や構成、開発期間、費用については詳しく説明する。

しかし、導入後に顧客へのサービスがどう変わるのか、
競争相手に対してどのような優位性が生まれるのかについては、十分に説明できていない。

そのような提案になっていないでしょうか。

システムの完成や稼働開始が、いつの間にかプロジェクトのゴールになっていないでしょうか。

もっとも、IT部門だけで売上や利益を保証することはできません。

事業成果は、システムだけで決まるものではないからです。

だからこそ、役割と責任の分担が必要です。

  • 事業部門:顧客にどのような価値を提供し、どのような成果を目指すのかを明確にする。
  • IT部門:その実現に必要な業務や情報、システムの仕組みを構想し、実現する。
  • 経営者:その取り組みが事業戦略に合致しているかを判断し、必要な資源を配分する。
  • 関係者全員:導入後に成果を検証し、必要に応じて改善を続ける。

IT投資の価値は、IT部門だけでも、事業部門だけでも説明できません。

事業として何を目指すのか。その実現にITがどう貢献するのか。そこを関係者が共有して初めて、投資の妥当性を判断できるのです。

「物差しを変える」とは、稟議書を変えること

では、具体的に何を変えればよいのでしょうか。

私は、IT投資の稟議書や提案書に、少なくとも次の四つの問いを加えることを提案します。

第一に、顧客にとって何が変わるのか

社内の作業時間が何時間減るかだけでなく、
顧客への回答時間、サービス提供速度、品質、利便性など、顧客が実感できる変化を明確にします。

第二に、競争相手と比較して何が変わるのか

自社の現状と導入後だけでなく、
競合のサービス水準や、顧客が期待する水準と比較します。

第三に、その変化が事業成果にどうつながるのか

例えば、顧客への納期回答を短縮することで、受注率がどの程度改善すると考えるのか。

必ずしも最初から正確な金額を算出できるとは限りませんが、
想定する因果関係と、その根拠を明らかにします。

第四に、誰が、いつ、何をもって成果を判断するのか

システムの稼働開始をもって投資の成功とするのではなく、
導入後に事業上の成果を検証する仕組みを設けます。

  • 導入後3か月、6か月といった時点で、回答時間や受注率などの変化を確認する
  • 期待した成果が得られなければ、業務運用を見直すのか、システムを改善するのか、投資方針を修正するのかを判断する

ただし、これらの問いを稟議書に追加するだけでは不十分です。

本来、この四つの問いは、システムの選定を始める前に考えておくべきことだからです。

目的が定まらないままシステムを選び、最後に投資効果を計算する。

その順序では、すでに決めたシステムを正当化するための数字合わせになってしまう危険があります。

先に事業上の目的を定め、その実現手段としてITを考える。
そのうえで、投資の妥当性を評価する。

順序を変えることが重要なのです。

武器を安く調達できても、競争に負けては意味がない

経営者は現場に、競争で勝つことを求めます。

競合よりも早く、競合よりも高い品質で、競合よりも顧客の期待に応えることを求めます。

その一方で、それを実現するためのITには、できるだけ安いことを求めていないでしょうか。

競争相手が優れた情報基盤を整え、顧客への対応速度を高め、
需要の変化を捉えて次々と施策を打ち出している。

そのような状況で、自社のITだけをコスト削減の対象として扱い続けたら、
現場はどうやって戦えばよいのでしょうか。

もちろん、ITに多くのお金をかければ競争に勝てるわけではありません。

高額なシステムを導入しても、事業成果につながらなければ、それは成功とはいえません。

しかし、ITを安く調達することに成功しても、競争に負けてしまえば、経営として成功したとはいえないはずです。

だからこそ、経営者が問うべきなのは、単に「もっと安くならないか」ではありません。

そして、ITを提案する側が答えるべきなのも、
単に「このシステムにはこれだけの費用が必要です」という説明ではありません。

「そのITで、顧客にどのような価値を提供し、競争相手に対してどう勝つのか」

この問いから始める必要があります。

  • 何を実現したいのかが決まっていなければ、必要なITも決まりません。
  • 必要なITが決まらなければ、適切な投資額も判断できません。
  • 期待する成果が明確でなければ、投資が成功したかどうかも分かりません。

IT投資の問題は、予算の多寡だけではありません。

私たちは、ITで何を実現するかを決める物差しを持っているでしょうか。

そして、その物差しを、経営者が判断できる形で示せているでしょうか。

この記事を書いた人について

谷尾 薫
谷尾 薫
オーシャン・アンド・パートナーズ株式会社 代表取締役
協同組合シー・ソフトウェア(全省庁統一資格Aランク)代表理事

富士通、日本オラクル、フューチャーアーキテクト、独立系ベンチャーを経てオーシャン・アンド・パートナーズ株式会社を設立。2010年中小企業基盤整備機構「創業・ベンチャーフォーラム」にてチャレンジ事例100に選出。

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