AIが人間を超えても、将棋は終わらなかった― AIがもたらすのは「人間不要」ではなく、能力インフレなのかもしれない

「AIに仕事を奪われるのではないか」
生成AIが急速に進化するなか、そんな議論をよく目にします。
文章を書く。資料を作る。データを分析する。プログラムを書く。アイデアを出す。少し前まで人間の能力だと思われていた領域に、AIが次々と入ってきました。
では、AIが人間より優秀になったら、人間の仕事はなくなるのでしょうか。
この問いを考えるとき、私は将棋の世界が興味深い先行事例だと思っています。
AIが人間を超えた。その後、何が起きたのか
2017年、将棋ソフトPONANZAが当時の佐藤天彦名人に2連勝しました。もちろん、それ以前からコンピュータ将棋は急速に棋力を伸ばしていましたが、現役名人を破ったことは「AIが人間のトップレベルを超えた」ことを象徴する出来事の一つだったと思います。
それなら、人間同士が将棋を指す意味はなくなるのか。
実際には、そうなりませんでした。
棋士たちはAIを研究に取り込み、それまで人間が積み上げてきた定跡や局面評価を見直し、AIが示す手から新しい将棋を学ぶようになりました。
ここだけを見ると、「AIによって人間も進化した」という美しい話に見えます。しかし、もう少し違う見方もできると思います。
自分がAIを使って強くなれるということは、対戦相手もAIを使って強くなれるということです。昨日まで一部の棋士しかたどり着けなかった研究に、多くの棋士がアクセスできる。研究の深さも量も増える。AIを使うこと自体では、やがて差がつかなくなる。
つまりAIは、棋士を楽にしただけではありません。プロ棋士に要求される「強さ」の水準そのものを引き上げた。
将棋界で先に起きたのは、「AIによる人間の失業」というより、こんな能力インフレだったのではないでしょうか。
3日の仕事が3時間になったら、人は楽になるのか
同じことは、企業でも起こりそうです。
例えば、これまで3日かけて作っていた企画書を、生成AIを使えば3時間で作れるようになったとします。最初は大きな生産性向上です。
ところが半年後、競合他社も3時間で作れるようになったらどうでしょう。お客様も、それができることを知るようになります。すると、
- 「では、A案だけでなくB案とC案もください」
- 「それぞれ競合分析も付けてください」
- 「売上シミュレーションもお願いします」
となるかもしれない。やがて、以前なら3日かけて作っていたものより高度なアウトプットを、3時間で出すことが「普通」になる。
AIによる生産性向上は、そのまま人間の余暇になるとは限りません。新しい「当たり前」に転化していく。
これは少し皮肉な話です。AIによって仕事は速くなる。しかし周囲も同じように速くなれば、競争の水準そのものが上がる。結果として人間は楽になるどころか、以前より高度な仕事を要求されるかもしれません。
将棋で起きたことと、よく似ています。
「昭和の仕事」をAIで爆速処理する会社
ここで、企業のAI活用について少し気になることがあります。
- 「ChatGPTを全社導入した」
- 「議事録をAIで自動化した」
- 「AIで資料作成時間を半分にした」
どれも意味のある取り組みです。効率化そのものを否定するつもりはありません。
ただ、それをそのまま「変革」と呼んでしまうことには、少し違和感があります。
極端に言えば、昭和から続く仕事を、最新のAIを使って猛烈なスピードで処理する会社だって作れるからです。
例えば、毎週1時間かかっていた会議の議事録作成が、AIによって5分になったとします。素晴らしい効率化です。
では、浮いた55分で、そのチームは何を生み出したのでしょうか。
- 会議をもう一本増やした
- メールをもっとたくさん返した
- 資料をさらに細かくした
もしそうだとしたら、会社は確かに忙しく働けるようになった。しかし、会社そのものは何も変わっていないかもしれません。
ここに、AIによる効率化の難しさがあります。
問うべきなのは「何時間削減できたか」だけではなく、「削減した時間を何に使ったか」ではないでしょうか。
AIによって生まれた余力を、人員削減に使うのか。昨日と同じ仕事をもっと大量に処理するために使うのか。それとも、新しい商品、新しい顧客、新しい事業を生み出すために使うのか。
同じAIを導入しても、この選択によって数年後の会社はまったく違う姿になるはずです。
AIが安くするのは「実行」なのかもしれない
もう一つ、AIによって起きそうな変化があります。これまで価値があった「できる」という能力が、急速に安くなっていくことです。
- 資料を作れる
- データを分析できる
- 市場を調査できる
- アイデアを出せる
- プログラムを書ける
もちろん高度な専門性は残りますが、少なくとも一定水準まで「できる」ためのハードルは、AIによって大きく下がっていくでしょう。
すると、企業の競争軸も変わります。
- 資料を作れるかではなく、何を伝えるのか。
- 分析できるかではなく、何を読み取るのか。
- アイデアを出せるかではなく、何を選ぶのか。
- システムを作れるかではなく、何を作るのか。
AIによって「実行」のコストが下がるほど、その手前にある「選択」の価値が相対的に上がっていく。ここは、企業経営にとってかなり大きな変化だと思います。
100案出せる時代に、経営者は何をするのか
少し先の未来を想像してみます。
AIに新規事業を相談すれば100案出てくる。それぞれについて市場規模を調べ、競合を分析し、事業計画を作り、投資対効果までシミュレーションしてくれる。そんなことが当たり前になったとします。
では、経営者の仕事は簡単になるのでしょうか。
むしろ私は、逆ではないかと思っています。
選択肢が3つしかなければ、選ぶのは比較的簡単です。しかし、もっともらしい選択肢が100個並べば、何を選ぶか以上に、何を捨てるかが難しくなる。
AIは「この事業へ参入すべき理由」を作れるでしょう。同時に「撤退すべき理由」も作れる。
しかし、実際に既存事業から撤退する。限られた人材を別の事業へ移す。数億円を投資する。組織を動かす。そして、その結果について責任を負う。
これは「正しい答えを出す」という仕事とは少し違います。
だからAI時代に人間へ残るのは、単なる「判断力」という綺麗な言葉だけではないと思います。
選ぶこと。捨てること。そして、決めたことに責任を負うこと。
実行する能力がコモディティ化するほど、こちらの価値が上がっていくのではないでしょうか。
AIが人間を超えても、将棋は終わらなかった
もう一度、将棋に戻ります。
AIが人間を超えても、将棋は終わりませんでした。しかし、それは単に「やっぱり人間には人間の価値がある」という優しい話ではありません。
AIを取り込んだ棋士たちによって将棋の水準は上がった。そして一度上がった水準は、もう元には戻りません。
企業でも、おそらく同じことが起きます。3日の仕事が3時間になれば、やがて3時間が「普通」になる。AIで資料を作れることも、分析できることも、システムを作れることも、いずれ特別ではなくなる。
そのとき問われるのは、「AIを使っているか」ではありません。
AIによって増えた能力を、会社として何に使ったのか。
効率化によって生まれた時間を、人員削減に使うのか。昨日と同じ仕事をもっと大量にこなすために使うのか。それとも、昨日までできなかったことを始めるために使うのか。
ここから先は、AIの性能では決まりません。経営の意思で決まります。
だからAI時代に経営者が考えるべきなのは、「AIで何ができるか」だけではないのだと思います。
AIによって何でもできるようになったとき、自分たちは何をやるのか。
そして、何をやめるのか。
将棋の世界が先に見せてくれたのは、人間が不要になる未来ではなかった。
「昨日まで強かった」では、生き残れない未来だったのかもしれません。
AIで速くする。その先を考えませんか?
AIで資料を速く作る。分析を速くする。業務を効率化する。
それだけなら、やがて多くの会社ができるようになります。
大切なのは、そこで生まれた力を「何を変えるために使うのか」です。
既存業務を速く回すだけではなく、新しい事業、新しい顧客、新しい働き方へ。
私たちは、AIありきではなく「会社として何を変えたいのか」から、ITの使い方と実行まで一緒に考えます。
この記事を書いた人について

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オーシャン・アンド・パートナーズ株式会社 代表取締役
協同組合シー・ソフトウェア(全省庁統一資格Aランク)代表理事
富士通、日本オラクル、フューチャーアーキテクト、独立系ベンチャーを経てオーシャン・アンド・パートナーズ株式会社を設立。2010年中小企業基盤整備機構「創業・ベンチャーフォーラム」にてチャレンジ事例100に選出。






















